メドレーで活躍中の id:yosuke を訪問 | はてな卒業生訪問企画 [#4]

こんにちは、取締役の id:onishiです。

Hatena Developer Blogの連載企画「卒業生訪問インタビュー」では、創業からはてなの開発に関わってきた取締役の id:onishi、CTOの id:motemen、エンジニアリングマネージャーの id:onkが、いま会いたい元はてなスタッフを訪問してお話を伺っていきます。

id:onishiが担当する第4回のゲストは、テクノロジーを活用した事業やプロジェクトを通じて、「納得できる医療」の実現に取り組んでいる株式会社メドレーで、上級執行役員 人材プラットフォーム本部長を務めるid:yosukeさんこと、石崎洋輔さんです。

Webマーケティング支援事業を展開するアウンコンサルティング株式会社で、モバイルSEOの立ち上げなどで活躍後、2007年にはてなに入社。広告をはじめとしたマネタイズ施策による売上拡大から、サービス開発まで幅広い領域でご活躍いただきました。

はてな卒業後の2011年からは、グリー株式会社でSNSやコミュニティなど非ゲーム領域を担当。2014年に100%子会社のプラチナファクトリー株式会社を設立、代表取締役 社長に就任し、「介護のほんね」をリリースします。2015年にM&Aによって会社ごとメドレーに移り、取締役に就任します。

現在は、医療ヘルスケア領域の人材採用システム「ジョブメドレー」なども統括するid:yosukeさんに、メドレーの開発体制やカルチャー、マネジメントやドキュメント管理、はてなとの違いについてなど、いろいろお話を伺いました。

石崎洋輔さん(id:yosuke) / 株式会社メドレー 上級執行役員 人材プラットフォーム本部長
2007年-2011年 はてな在籍

メドレーの上級執行役員になったid:yosukeさん

id:onishi(以下「id:onishi」) ちょこちょこと連絡させてもらったりはしていましたが、しっかりお話するのは久しぶりですね。今日は楽しみにしてきました。よろしくお願いします。

id:yosuke(以下「id:yosuke」) よろしくお願いします。

id:yosukeさんこと、メドレー 石崎洋輔さん

id:onishi まずは現在のお話から。メドレーさんで上級執行役員 人材プラットフォーム本部長として、どういったことを担当されているのか教えてください。

id:yosuke メドレーにおける僕の役割は、年間売上100億円を超える主力事業である「ジョブメドレー」やその周辺事業全体の責任者です。

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2023年4月にコーポレートガバナンスをより強化するため、経営体制の変更を行いました。社外取締役の比率を増やして監督機能を強化し、執行役員が経営の執行をすることで、経営の機動力向上を図っていきます。

それに伴い、僕も取締役から退任して、上級執行役員となりました。やることとしては引き続き、経営メンバーの1人として、担当している事業・プロダクトの拡大を推進する責任者としての役割を担います。

id:onishi 日本の企業は、取締役が実務から執行までする会社が多いですよね。コーポレートガバナンスを社外取締役にするいうのは、なんというかイケてますね。

id:yosuke これまで社内の取締役は7人いたんですけど、CEOとCFOのみとなりました。それ以外はみんな執行側に回っていて、社内・社外の取締役が6名、執行役員が17名(※ 取材終了後、23年6月1日付で18名)の体制になっています。

ジョブメドレーのプロダクト開発は二頭体制

id:onishi 人材プラットフォーム本部長としては、主力サービスであるジョブメドレーをどのように展開していこうと考えているんですか?

id:yosuke まだまだ日本では看護師や介護職などの有効求人倍率が高いので、ジョブメドレーがより多くの方に使っていただけるよう、引き続きプロダクトを洗練させていく、というのはあります。そこからさらに、グローバル展開とサービスラインナップの拡充を進めています。例えば、ジョブメドレーを通じて入社された方々へのジョブメドレーアカデミーというオンライン研修サービスを提供するなど、医療介護業界で働く人たちのサポートをできるサービスラインナップをどんどん広げていこうとしています。

id:onishi プロダクトの開発体制も興味があります。

id:yosuke 特徴的なところでいうと、事業部長とプロダクトの責任者が、二頭体制で意思決定をしています。年度予算や売上など、事業予算に関する責任は事業部長が持ち、中長期でのプロダクト成長はプロダクトのオーナーが責任を持つ体制です。予算と売上目標に偏ると短期志向になってしまい、逆にプロダクト開発チームだけでは事業予算や売上にコミットするのは難しいという判断から、両輪で組織を構成することとしています。

メドレーでは「なぜ、このサービスをやっているのか」「なぜ、このサービスを提供しているのか」といった定性的なプロダクトの理念を定義しています。そして、年間の定量的な予算と売上目標を達成するための計画を立てます。年間予算、クォーターごとの開発のロードマップを週次サイクルのミーティングで追い、さらに朝会・夕会で進捗をより深く追っていく体制を立てています。

ジョブメドレーのプロダクト開発サイクルについてまとめて聞いてみた|株式会社メドレー

id:onishi 事業とプロダクトの二頭体制だと時に意見が対立したり、みたいなこともありがちだと思うんですが、何か工夫されたりしていますか?

id:yosuke はてなに居た頃はよくその問題に悩まされましたよね(笑)

例えば、はてなダイアリーとかだったとすると、「広告バナーを押してもらえれば売上が上がるけど、広告から誘導されずにそのまま記事も読んでもらいたい」という矛盾をどうしたら少なくできるかばかり考えていたので、それと比べるとシンプルですね。

id:onishi ブログの書き手には気持ちよく使ってもらいたいし、読む人には多少なりとも広告をクリックしてほしいという思いは複雑ですからね。

id:yosuke それに比べると、人材系のサービスはマネタイズがシンプルで、ユーザーが増えれば増えるほど、売上につながる構造なので、お互いの意思や進め方がずれることは少ないです。工夫していることといえば、なるべくドキュメントに残すことでしょうか。はてな時代にやっていたように、プロジェクトの責任者がなぜそう決断したのか、その意思決定プロセスについても社内の誰でも見られる場所にドキュメントを残すようにしています。

いろいろな立場で仕事をした経験が活きている

id:onishi yosukeさんは、はてなに営業として入社されてから、課金を含むマネタイズ全般や広告の最適化などの事業開発も担当されていましたね。GoogleアドセンスやAmazonアフィリエイトのサービス開発がらみで、一緒にお仕事をするようになったんでしたっけ。

id:yosuke そうですね。2008年に京都と東京の2拠点制になって、エンジニアの皆さんが京都に移転した半年後ぐらいに、営業としては僕1人だけ京都に行くことになって。エンジニアやデザイナーの皆さんと広告の最適化をしつつ、たぶん2週間に1回くらい東京に行って、パートナー企業の訪問もしていました。

id:onishi たしか主力チームという名前のチームで、広告から課金、はてなのポータルトップからレガシーサービスの改善まで一緒にやっていたんですよね。僕はエンジニアとしてyosukeさんは立場としては、事業開発になるのかな。yosukeさんは、Webディレクターやマーケティングもやっていましたよね。

id:yosuke onishiさんと僕とアルバイトも合わせて4人くらいで、文句や愚痴なんかを言い合いながら、1日2リリースくらいしていましたね。超高速でものごとが進んでいった覚えがあります。はてなダイアリーのポイントプログラムやはてなフォトライフも一緒に作っていました。全サービスのGoogleアナリティクス設定をやっていた記憶もあるし、売上の集計から経営会議でその数字報告までやらせてもらっていました。

そのころの id:yosukeさんとid:onishi

id:onishi 今回の対談のために過去の組織図を振り返ってみたら、yosukeさんが本当にいろいろ異動しながら、いろんなサービスに携わっていたことを思い出しました。

id:yosuke その経験は今に活きているなと感じます。さっきの二頭体制でいえば、事業側とプロダクト側の意見が割れそうなときには僕が判断して決めることもあるんですね。そういったときは、広告営業もやっていたし、ディレクターという立場も経験して、売上の数字を管理することもあれば、プロダクトのアナリティクスの数字を見ていた経験もあってそれぞれの立場を考えながら判断できるので、良い経験を積ませていただいたなと思っています。

id:onishi はてな時代はyosukeさんも1人で動く人だったわけですが、今はお互い立場が変わり、プレイヤーからマネジメント側になりました。そのことで何か考え方や自分の中での変化などありましたか?

id:yosuke マネジメントについては、これまでのキャリアの中での経験が活きていると考えています。まず1段階は、2011年にグリーに入社して3ヵ月ぐらいでリーダーに、最終的には直接・間接的を含めて100人以上の大きな組織のマネジメントを任されたことです。マネージャーとして、初めて事業の方針策定から人材採用や評価を経験しました。1人で動いているときには必要なかった大きな組織の動かし方を失敗しながらも学ばせてもらったと思っています。

はてなは当時はまだ小さくてとがった会社だったので、異なる価値観の人があまりいなかったし、向いている方向がだいたい一緒でした。グリーに入って他の部署の異なる目標・異なる価値観を持つ人との接し方、大きな組織を動かすために自分がどう動くか、そのために自分がどう見られるか自分の言動とか振る舞いがどう見られるかを意識して行動するようになりました。

2段階目は子会社の社長となり、自分が最終意思決定者になったときです。社長の意思決定には正解なんてないようなものですが、それでも決めなくてはいけない。自分の後ろには何もない。とにかく決めなきゃいけないみたいなことを学んだと思います。そうした経験を踏まえた上で、メドレーに取締役として入社。当時のメドレーはまだ20-30名しかおらず、これから大きくなっていくフェーズだったので、グリーで大きな組織や子会社をもがき考えながらマネジメントした経験を活かせてこれたかな、と強く思います。

ドキュメントを残すことの大切さ

id:onishi 段階を踏んでマネジメントの重要さを経験してきた中で、うまくできたと思う学びとは何ですか。

id:yosuke はてな時代、みんなの向いている方向がそろっていたのは、やっぱりグループウェアに日々書き残されていく大量のテキストがあったからだと思っています。自分のことをなんでも開示するカルチャーというか、仕事だけじゃなく、プライベートのことまで含めて、自分が思ったことを誰でも書けるものがあると、誰がどっちの方向を向いているのかや、何をしているのかがわかる。チーム内の信頼感がわくなと思ったんですよね。

なので、子会社社長になったときに最初にやったのは、そういうドキュメントツールを用意して、そこに何でも書くようにすることでした。メドレーに入ってからも、ツールは違えどドキュメントシステムを活用して、誰が何をやっているかをオープンにしてみんなのベクトルが揃うように意識しています。

id:onishi はてな卒業生と話していると、はてなグループの存在が大きいという話題はよく聞きます。この連載でも何度も言及してもらっていますね。みんなドキュメントを残すという文化によって得られるものを実感してくれて、卒業後もそれを広めていこうとしてくれているのは嬉しいです。

id:yosuke 何でもオープンにする文化は、はてなで学んだことですね。当時、近藤さん(はてな創業者で現非常勤取締役の近藤淳也氏)がよく言っていた、はてなでは「情報の私物化を禁止する」とか、「どの情報を出すべきかは提供者ではなく、読む側が取捨選択するから、出す側はとにかく全部出しておけばいい」という考え方に一番影響を受けている気がします。

もちろん会社が大きくなっていけばオープンにできない情報も出てくるとは思いますが、できるだけオープンにしておいて、必要なときに読める状態や検索できるようにしておくことで仕事がしやすくなります。メドレーが大事にする価値観としてドキュメントドリブンがあるのですが、その源流ははてなからきていますね。

メドレーの「ドキュメントドリブン」のなりたち|yosuke

id:onishi マネージャーは自己開示せよみたいな話はよく聞きますが、上司も部下も関係なく、みんなアウトプットすることで、自然と自己開示ができると思ってやっています。実際マネージャーになってみて、それを実感することも多いですね。

id:yosuke 僕は自分から相手に時間を割いてもらって、自分が考えてることを話すのは苦手なんですよね...。でも、ドキュメントに書いておいたから暇なときに読んでおいてくださいならやりやすいんです。

id:onishi 一方で、なんでもアウトプットすると情報が多くなりすぎてパンクしちゃうこともあると思うのですが、それはどうしています?

id:yosuke 個人的には、オープンになっていればなっているだけいいと思っています。どちらかというと読む側のリテラシーというか、必要なものだけちゃんと取り入れるスキルみたいのを誰もが身につけるべきだなと。ただ現実としてはやはり情報が多くなりすぎて、どのドキュメントが最新版なのか探しづらくなっているという課題はあります。これは何とか解決していかなきゃいけないと考えています。

id:onishi 情報のオープン化の次にくる課題は、何が正しい情報なのか。最近は、SSOT(Single Source of Truth:信頼できる唯一の情報源)という言葉が注目されています。正しく書かれていることが一番理想的だけど、はてなの場合は検索するととにかく大量の情報が出てくる。それもありがたいけれど、どれが正しいのか、最新の情報なのかわからないのは課題でもありますよね。

id:yosuke はてなはどう対策しているのですか?

id:onishi とりあえず、Scrapboxなどの情報共有系のサービスを横断して検索するツールを内製で作ってもらったんです。そうすると検索結果が増えるだけなので、課題のままです。この問題は、どの会社も課題になっていくような気がします。

いまのはてなはどう見える?

id:onishi 最後に「外から見たはてなはどう見えますか?」という定番の質問です。yosukeさんははてなを離れてもう10年以上経ちますが、今のはてなはどうですか。

id:yosuke 振り返ってみると、一緒に働いていた方々が変わっている人や信頼できる人ばかりで楽しかったですね。そのときの記憶と比べて、あくまで外から見えている限りですが、今のはてなはなんとなく普通の真っ当な会社になっているように見えます。

サービスやエンジニアの発信は今も多いですが、はてなってサービスだけじゃなくて会社のありかたも変でしたよね。立ったまま会議とか全員面接とか、企業運営における1つ1つの取り組みに対して「なんでだろう」と疑問をもって、「こっちのほうが良くない?」と独自な視点でやってみて、その結果をオープンに公開するような会社だったなと記憶しています。すべての会社にとっての正解じゃなくても、ユニークではてなっぽい「へんな会社」としての取り組みを実施して、外にも公開してほしいなと思います。

「へんな会社」の作り方(近藤 淳也)|翔泳社の本

id:onishi 外から見ても普通、真っ当になっているという指摘は成長したとも言えるけど、もっと「へん」なこともしていきたいですね。2009年当時は人に合わせて組織を作っていたし、月単位くらいで組織図が変わっていた。そういう変化が少なくなっているのは自分でも感じています。

ちなみに、yosukeさんが印象的だったはてな時代のエピソードは何ですか?

id:yosuke さっきも話した、立ったまま会議や取締役会の音声を全部ポッドキャスト公開とか全員面接とか。アメリカに行った近藤さんが、「じゅんやくん」と名付けた移動式椅子にPC、ディスプレイ、スピーカが固定されたデバイスでリモート勤務していたりとか。やっぱりへんな会社でしたね。

最近「tonari」という遠隔コミュニケーションツールを見学してきたんですけど、これって15年前にはてなが東京と京都をポリコムでつないでいたのと同じ発想じゃんと思ったんですよね。これで送別会をやったななんて思い出していました。コロナ禍で変化した環境や技術進化によって、あの頃の概念やツールが今なら世の中の多くの人に求められて、かつ革新的なサービスにできるんじゃないかなと。はてなの昔の合宿発表資料とか掘り起こしたら、結構宝の山なんじゃないかな。

2008年のインタビュー記事でid:kawasaki (現スマートニュース株式会社 執行役員)が言っていた「東京と京都のオフィスを仮想的に一つの空間にする」話もまさにそうだと思います。

はてなの副社長に会ってきました|CodeZine(コードジン)
(※ 現在はインタビューの一部のみが上記よりご覧になれます)

id:onishi 懐かしい記事ですね。会社組織を見る立場としても、情報発信をしていく立場としても頑張ろうと思います。ところで、先日、別の卒業生たちと会話した時に、yosukeさんが久々にブログ書いてるって、話題になっていました。

id:yosuke エジプト1人旅のやつですか (笑)?実は最近、はてなブログでただの日記をほぼ毎週書いているんですよね。でも見られるといろいろ書きづらくなるから、下書き状態で残したまま止まってるんですが。

エジプト1人旅に行ってきた - id:yosuke blog

id:onishi 情報は受け手が決めますから(笑)。

id:yosuke そうですよね(笑)。id:yosuke のままで別ブログを作ろうかな。

id:onishi 1つのidでブログいくつか作れますからね。まだ話足りないので、今度京都で一泊の出張とか来てくださいよ。

id:yosuke わかりました。近々ぜひ!

2008年 スカイダイビング直前の id:yosukeさんとブログチームの id:AirReader


id:yosukeこと石崎さん、ご協力ありがとうございました!次回の「はてな卒業生訪問企画」は2023年8月更新予定、担当はid:motemenです。