こんにちは、取締役の id:onishi です。
Hatena Developer Blogの連載企画「卒業生訪問インタビュー」では、創業からはてなの開発に関わってきた取締役の id:onishi、CTOの id:motemen、エンジニアリングマネージャーの id:onkが、いま会いたい元はてなスタッフを訪問してお話を伺っていきます。
id:onishiが担当する第7回のゲストは、ロンドン、シンガポール、ハノイを拠点とするAIソリューションプロバイダー Nexus FrontierTech のCo-Founder CTOであり、著書「Web API: The Good Parts」、訳書「プログラマー脳」「JavaScript: The Good Parts」「入門 自然言語処理」などの執筆・翻訳でもご活躍されている、 id:mizuno_takaakiさんこと、水野貴明さんです。
mizunoさんは、SIerを経て2005年はてなご入社。2007年に卒業後は、バイドゥ株式会社の日本人開発者第一号としてご活躍されたのち、株式会社ディー・エヌ・エー(以下「DeNA」)、フリーランスを経て、Nexus FrontierTechを共同創業されました。
東南アジアでのスタートアップの開発やチーム構築支援、執筆・翻訳でもご活躍されているid:mizuno_takaakiさんに、はてな時代の思い出や書籍執筆の舞台裏、海外での開発支援など、お話を伺いました。
水野貴明さん(id:mizuno_takaaki)
技術投資家/ソフトウエア開発者/執筆・翻訳家 /Nexus Frontier Tech Co-Founder CTO
2005年9月-2007年12月 はてな在籍
X: https://twitter.com/mizuno_takaaki
Blog: http://takaaki.info/
はてな時代の思い出深いサービスは?
id:onishi(以下「」) 今日は楽しみにしてきました。よろしくお願いします。
id:mizuno_takaaki(以下「」)こちらこそ、よろしくお願いします。
mizunoさんは、書籍「プログラマー脳」や「The Good Partsシリーズ」などの翻訳者・著者であり、海外でも活躍されていることは知られていますが、はてなのOBであることをご存じない方も多いように思います。最近入ったはてなスタッフのなかにも知らなかったエンジニアがいたくらいです。
だいぶ前ですから。当時一緒に働いていたメンバーも少ないですよね。
mizunoさん在籍時にもいた現スタッフは、僕とid:mitsukiさん(はてな取締役 田中慎樹)、id:rikoさん(はてなコミュニティマネージャー)くらいですから。CTOのid:motemenも一応かぶってますね。
そうでしたね。なつかしい。では、最初はそんなはてな時代のお話から伺っていきます。
いろんなサービスに関わってらっしゃったので、mizunoさんが思い出に残っているサービスや開発についてぜひお聞かせください。入社して最初の頃は、はてなダイアリーのサブディレクターを担当されてましたよね。
そうです。やっぱり、はてなダイアリーの改善が一番思い出深いですね。はてなカウンターのリニューアルもよく覚えていますけど、はてなダイアリーが一番かな。
文字コードがEUC-JPだったので、その対策とかやりましたしね。キーワードがらみのランキング調整、組織票が入ってたときの対策などは、今でも詳細に覚えていますね。
あとはログインアクセスの障害も忘れられないです。フラグが変わっただけだったので、復活できてよかったですけど。
ORマッパーのバグで実行されちゃう障害でしたね。それは操作と関係なく、どんな状況でも周りで起こるもので、たまたま引いたのがmizunoさんだったんですよね。
2007-07-11 - はてなの告知
2007年に発生したログイン障害。当初オペレーションミスと告知したが、その後の調査でシステム障害であったことがわかった。そのバグをたまたま引いたのがmizunoさんだったというエピソード。
テストアカウントで退会を試していて、退会する操作になんでこんなに時間かかるのかって思っていたら、全員誰もログインできなくなってしまったのであせりましたね。
はてなダイアリー編集の追加機能は、たくさん作りましたね。あとは広告関係のシステムも。
かなり作っていました。簡単に全ページトラッキングできるように、Googleアナリティクスを仕込んだり、はてなのキーワードのページが出る広告のチューニング、アフィリエイトのAPI改善などやりましたね。
広告の標準モジュールを作って、いろいろな広告やアフィリエイトを包括的に使えるようにする改善でしたよね。mizunoさんの在籍期間は2年3か月と短かったですが、たくさんの機能やツールを作っていたイメージがあります。あとは、よく議論してケンカしてた印象もありますけど(笑)。
ケンカしてましたっけ。そういう印象があったからか、はてなを退職する際に「怒ってません」って書いてあるTシャツはもらいました(笑)。
当時のはてなは、mizunoさんだけでなく、そういう感じはありましたよね。技術やサービスに関して、議論が多かったことも影響していると思います。
たしかにそうですね。それは自分の中では、すごく良かった経験の一つです。はてなは、自分の欠点にちゃんと向き合うきっかけになった会社でした。何かあったときに「じゃあ、どうしたらいいか」を真剣に考えるようになった。当時のはてなで僕は年齢が高い方でしたけど、みんなから学ぶことはめちゃくちゃ多くて、濃い2年3か月だったと思っています。
バイドゥに日本人開発者第一号として入社
はてな卒業後はすぐにバイドゥにご入社されました。当時は「検索エンジンを作る」というmizunoさんのポジション、かっこいいなって思っていました。
でも、入ってみたら、最初は検索エンジン作らせてもらえなかったんですよね。そこで揉めて、ネゴシエーションを重ねに重ねた結果、エンジニアになれって。それでモバイルの検索エンジンを作ってました。在籍は3年3か月ですね。
はてなでも文字コードのことはやっていたけど、バイドゥでも文字コードと戦う男として、キャリア絵文字を検索可能にする開発をやっていました。
はてな、バイドゥとずっとガラケーの絵文字と付き合ってました。
はてなにいた当時も、シリコンバレーに現地法人を設立したりした時期だったので、みんなで英語で話す時間があったりしてましたけど、バイドゥに入ってからは上司も中国の方でしたし、月に1度は中国に行っていて。この時から、本格的に英語を使って海外の方と仕事をするようになりました。
東南アジアとの接点を作ったDeNAでの経験
その後バイドゥが日本のプロダクト事業をほぼたたむことになり、自分も抜けて、その後DeNAに転職したんです。
DeNAではスマホ向けゲームの開発チームで、社内で複数のゲーム向けライブラリを作ったり、困っているチームをサポートするチームのリーダーをやっていました。
基盤チームというか、顧問チームですね。ゲーム開発チームは20代若手がバリバリやっているんですけど、自分たちのチームだけ平均年齢36歳ぐらい(笑)。困っている若手チームを経験あるメンバーでサポートするチームを率いていたのですが、その後パキスタンの開発チームにアサインされたんです。そこから、ベトナムチームの買収を手伝ったり、オフショアなども担当するようになりました。
DeNAさんの中では、当時オフショア開発は活発だったんですか?
まだ全然でしたね。パキスタンの会社を買収した直後で、とりあえず全チームに人員を割り当てたというタイミングでした。
汎用ライブラリを作る仕事をアサインされて、パキスタンのチームと一緒に作ったんです。いろいろあってライブラリの完成度はちょっと微妙だったかなとも感じてましたが、ともかく、プロジェクト自体は一応終わらせることができたんです。
他のチームは大体みんなうまくいっていなかったので、そのプロジェクトを完了できた、という実績によって、外国人とのやり取りができるというポジションを確立した気がしますね。
その時、ベトナムを買収するという話があったので、やりたいと手を挙げてベトナムに行きました。そのオフショア会社と、DeNAの開発カルチャーがの相性がうまくかみ合わなかったという経緯があって、シンガポールにゲームスタジオを立ち上げようという話になったんです。
そこでテックリードを務めることになり、シンガポールやベトナムとのネットワークもできました。その後DeNAは辞めたんですが、もう1回東南アジアで勝負したいと思い、東南アジアに戻って来ました。
東南アジアを拠点にしている理由
そこからずっと拠点は東南アジアが中心になっていますよね。なぜ、最初に東南アジアを選んだのですか?
当時シンガポールに一番知り合いが多くて。シンガポールでゲームスタジオを立ち上げるときに、面接などで人脈ができたんです。
会社を立ち上げたり、ビザを下ろしたりするのも一番簡単だったので、最初は東南アジアをベースにして、その後ヨーロッパとかアメリカとかも攻めてみようと考えました。東南アジアは面白いので、結果的にまだこっちに根付いちゃってます。
2年くらいフリーランスでやった後、知り合いと3人でNexus FrontierTechという会社を立ち上げ、CTOとしてAIのプロダクト作りをしています。今も個人でスタートアップなどの技術顧問や開発支援など、フリーランスっぽいことを続けてるところもあります。
そうそう。みんな困っているから。日本人が東南アジアで起業するときに、どうやって現地のチームを作ればいいのかわからないことが多いみたいですね。開発者の面接ができないといった相談も多い。私はベトナムやシンガポールで技術者の面接をずっとしてきたので、面接の手伝いはできるし、そうしたサポートを行っています。
mizunoさんはシンガポールにいらっしゃることが多いんですか?
シンガポールが中心ですが、仕事はシンガポールだけではないので、タイにもよくいっていて、日本によく帰っています。Nexus FrontierTechのメンバーやお客さんは日本にもいます。ただ、日本のチームメンバーはもともとリモート前提のチームで日本中に散らばってますし、セールスや経営メンバーはシンガポールやベトナムが中心で、タイにも仕事があるので、東南アジアにいる方が仕事はやりやすいです。
好きなことをやる
海外を拠点にし続けていることには、どういった理由があるんですか?
そもそも外国人とコミュニケーションすることが好きなんですよね。昔から文化の違いや言語に興味を持っていました。例えば、同じ英語でも国によってなまりが全然違うんです。ベトナムなまり、シンガポールなまり、インドなまりなど、その違いを分析するのも好きです。
仕事で海外に開発チーム作りたい人たちのお手伝いをしていると、そういう興味も満たされるし、開発チームもできて、最高に一石二鳥なのが、海外で仕事している理由です。
大変なこともありますけどね。海外で働くことに関しては、いいほうも悪いほうも経験しているなと思います。ただ、やっぱり好きなことをやっているというのが大きいです。
以前、タイでハッカソンイベントを企画したことがあるんです。みんなで好きなものを1日かけて作って、最後にプレゼンするっていう。そのハッカソンをやっているときに、あまりにも楽しすぎて、涙が出てきて…(笑)。
自分にこんなこと起こるんだと驚きましたけど、その時、やっぱり自分は「開発が好きなんだ」って、実感しましたね。
いまでも、開発で人が足りないから自分でコードを書かなきゃいけないときはめちゃくちゃテンションが上がります。
コードはバリバリ書いてます。結局コードを書いているのが一番楽しい(笑)。好きなことをやって食べていけるのは、本当に運が良かったと思っています。
Nexus FrontierTechで、金融関係向けのAIツールを開発・提供
Nexus FrontierTechではどういったサービスを提供されているかお伺いしたいです。
いわゆるファイナンシャルセクターといわれる銀行や証券会社などの金融機関向けに、AIを使ったデータ抽出・分析を行うツールなどを開発しています。
銀行は企業の財務諸表や財務報告書などのデータを取り込んで分析し、融資などの判断をしているのですが、これまでそれらの業務を手作業で行っていたんですよね。その業務を自動化するツールの開発に取り組んでいます。
もともとはファウンダーのひとりがイギリスに住んでいたので、投資を受ける関係でイギリスの会社に投資していました。現在は、経営メンバーはシンガポールに一番多くいるので、顧客はイギリス、シンガポール、日本が多いですね。
AI技術のニーズが高まっていますが、御社への影響はどうですか?
いわゆるChatGPTのようなLLM(大規模言語モデル:Large Language Models)を使ってきたことで、世界でゲームチェンジが激しく起こっています。
我が社もLLMも活用しながら、既存技術と組み合わせていくことで何とか生き残りましたが、周りはバタバタと倒れていきました。うちも頑張って採用したエンジニアと泣く泣く契約終了といったことを何回もしなくてはならず、大変でしたね。現在は、とりあえず危機は脱しました。
それはよかったです。日本向けには、どのような事業展開をされているんですか?
海外の日本企業や日本の銀行などの海外支店に向けて、事業を展開しています。トップや担当者が日本人というケースも多くて、そうすると僕が日本語で説明ができるので、安心して聞いてもらえるのは強みになっています。円安の影響もあり、海外でビジネスを展開する企業も増えていくのではないかと考えています。
はてなで学んだことは「技術に向き合う姿勢」
mizunoさんのキャリアはかなり変遷されていますが、戦略を立ててキャリアを積み重ねられてきたのですか?
いや、全く考えていないですね。だいたい3か月先のことはわからないという感じでやっています(笑)。
今のところラッキーにも、はてなで学ばせてもらったことが次のバイドゥで活かせて、そこでまた学んだことがDeNAで活かせて、そこまで全ての経験・スキルが今また活かせています。結果として、良いキャリアが築けたなと思っています。
はてなの宣伝をしてほしいみたいな感じに聞こえちゃうかもしれないんですが... はてなでの経験で役立ったことの最たるものは何ですか?
「技術に向き合う姿勢」だと思います。はてなに入社後、onishiさんやid:naoyaさん(株式会社一休 CTO 伊藤直也氏)、id:secondlifeさん(株式会社くふうカンパニー 執行役CAIO 舘野祐一氏)から、技術ってこうやって学ぶんだって刺激を受けたし、こう向き合うんだなと学ぶことができた。SIerにいたころと全然違ったので、衝撃的でした。はてなに転職していなかったら、たぶん全然違う人生だっただろうなって思いますね。
danjouさん(株式会社ソフリット 代表取締役 檀上伸郎氏)をはじめとして、自分の中で1本筋の通った向き合い方をしていました。SIerにいたときは、自分がその中でできる方だと思っていたんですけど、はてなに入ったら全然そんなことなくて。そこから自分が変わった感があるんですよね。
mizunoさんが入ってから、僕自身も結構影響を受けて成長できたと思ったことは結構あります。
先日、YAPC::Kyotoで、モブが主人公となってメインキャラを目指す話を講演したのですが、自分ははてなでモブだっていう意識がすごい強かったんですね。
mizunoさんは、前職でのご経験などもあって、わりと客観的な立ち位置で話をしてくれてるなって思っていました。「onishiさん、すごいじゃないですか」なんて言われたことがなかったので、すごくうれしかったです。
ほんとですか。僕はずっとonishiさんをすごい人だと思っていましたけどね。当時から言ってたけど、はてながまわっているのは大西さんのおかげだと。その思いは今も変わらないです。
なんか褒めさせた感じになっちゃったので話題を変えましょう(笑)。
組織・基盤開発本部長として、組織開発は人事領域全般、基盤開発はインフラ、サービス基盤、情報システムの開発を率いています。開発は指揮をすることはあるんですけど、サービスのコードは自分で書いていないですね。
そうなんだ。大西さんは僕が尊敬するプログラマーの1人なんだけど。
そう言ってくれるのは、mizunoさんくらいです。ただ、プログラム自体は趣味で書いていますよ。あとは、人事部長をしていても、必要に応じてちょっとコードを書いて解決してみたり、みたいなことはよくやっています。
たしかに、そういうこともできますよね。onishiさん、コミュニケーションに安心感があるし、人事部長とか今の役割みたいなのすごく向いてるなと思いました。
The Good Partsシリーズ書籍も大人気
mizunoさんは、はてな入社前にはてなの解説本「はてなダイアリーガイドブック」も書かれていますよね。それがはてな入社のきっかけにもなったと聞いてます。
その後もエンジニアとして忙しく働きながら、書籍や訳書を出していますので、そのあたりのお話を伺いたいです。執筆や翻訳のお仕事をされるようになったきっかけはどういったことだったんでしょうか。
もともと書くのが好きなんですよね。昔は小説家になりたいなと思った時期もありました。
なんかわかる気がします。当時もハヤカワのSF小説の話とかふたりでずっと話してましたよね。
あとmizunoさんははてなのフレームワークの教科書を書いてくれたんですよね。はてなのグループウェアにも「フレームワーク教科書」が残っていますよ。
当時は、入社したらまずはドキュメントに精通するという習わしみたいなのがあって、それの一環だったのかなと思います。
そもそも書くようになったのは、たまたま新卒2~3年目くらいのときに参加したプログラム言語のコミュニティで、アスキーの編集者と繋がりができたことからなんです。それから雑誌などに寄稿をするようになりました。小説家になりたかったけど、物語を作る力がなかったので、技術のことを書くほうに向かった感じです。
あとは「Interface」っていう雑誌などを出しているCQ出版に大学の先輩がいたので、いろいろな雑誌に書かせてもらっていたら、文章を書くのが面白くなってきた。そこから書籍の話も来るようになりました。
2014年の「Web API: The Good Parts」は大きく話題になりました。
中国語にも翻訳されたんですよ。英語になればいいのにと思ったけど、英語にはなりませんでした(笑)。
翻訳を担当された「プログラマー脳」も読みましたけど、あれもいい本でしたね。
手前味噌ですけど、言いたいことが言語化されて、いい本ですよね。
自分がプログラマー脳だと思っている人が読むと、「うんうん、こうだよね」ってううなずける本だと思います。子どもに勧めようと思っています。
うちの子は中学生なんですけど、試験勉強は前日しか勉強しないから、あの本に書いた「人間は思い出す練習をしないと思い出せないから、前もって準備して、前日に思い出すだけにするといい」といったら、ものすごく納得していました。
社会心理学を専門としている妻が監訳に入ってもらっているほか、息子も監修に参加してるんですよ。主に校正などを手伝ってくれました。今年のお正月、家族みんなでバーミヤンに集まってやりました(笑)。それなのに子供は自分の名前がクレジットにないって怒ってましたけど。
家族のサポートで書籍を出すって、とてもいい話ですね。あの本はどういう経緯で翻訳されることになったのですか?
実は、はてなダイアリーガイドブックを企画した当時の編集者の方から声をかけていただいたんです。2004年にはてなの本をやっていなかったら、今回の翻訳の依頼もなかったと思います。
いまのはてなはどう見える?
最後の質問です。今のはてなに対して、外からの忌憚なき意見を聞かせてください。
私がはてなにいたときと比べて、やってることが全然違いますよね。もちろん、当時から継続している個人ユーザー向けのサービスもたくさんありますけど、どちらかというと企業向けだったりも増えて、裏方に回る事も増えてるのかなって印象があって。でも、はてなという会社の存在を積極的にアピールしたらいいのにと、思っています。
アピールもそうだし、以前に比べてはてなの存在感が減っているんじゃないか、ということですね。
オブラートを外していただくと、そういうことでございます(笑)。特に海外では誰もはてなを知らないので、どうしても自分は「バイドゥにいた人」って呼ばれるんですよね。でも、僕のオリジンの一部は当然はてなにあるので、そのことを海外の方にもっと言えると嬉しいなと勝手に思っています。
知名度やプレゼンスが上がると、元はてなであるっていうことのプレゼンスも上がりますよね。
id:mizuno_takaakiさんこと水野さん、ご協力ありがとうございました。次回の「はてな卒業生訪問企画」は2024年2月更新予定、担当はid:motemenです。
id:onishi
大西 康裕(おおにし・やすひろ)
取締役 組織・基盤開発本部長 兼 人事部長
2001年に創業メンバーの1人として有限会社はてな(当時)に入社。その後「はてなブログ」の立ち上げや事業化を指揮。はてなのサービス・システムの開発本部長を経て、2022年5月より現職。組織開発及びシステム基盤開発を統括する本部長と人事部長を兼任し、経験を活かした多角的な組織開発に取り組む。
Twitter: @yasuhiro_onishi
blog: 大西ブログ